-BACK DOOR's Diary- -April 2019-

      2019/11/07

 

-「ワークライフバランス問題」は先に「ライフ」の議論をすすめよう。-

皆さん、こんにちは。
2019年4月度の月末雑記帳をお送りいたします。

(当記事は4月末にアップしたのですが、ブログから見れない状態になっておりましたので、急遽再アップ致しました。)

今回のテーマは「ワークライフバランス」と「趣味」について書きます。

皆さんは仕事に追われていて思うように趣味を楽しめないといった経験はありますでしょうか。
趣味を楽しみつつ仕事にも打ち込めている状態でしょうか。

仕事が忙しすぎて首が回らないという方もいるでしょう。
今回はなかなか目に見えて成果があがっていない「ワークライフバランス問題」をテーマにして雑記帳をお届けしたいと思います。

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ワークライフバランスという言葉

皆さんは「ワークライフバランス」という言葉をご存知でしょうか。

「ワークライフバランス」とは「Work-life Balance」という言葉が「仕事と生活の調和」と訳され、「国民一人ひとりがやりがいや充実感を持ちながら働き、仕事上の責任を果たすとともに家庭や地域生活などにおいても、子育て期・中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる」こととされています。
要は「きちんと仕事をしつつも普段の生活も楽しみ、充実していて全体としてその調和がとれている事」を指すのですが、「ワークライフバランス」という言葉だけが独り歩きし、十分な理解がされないまま使われているところもまだまだあります。

調べるとポイントとなっているのは「ワーカホリック」(仕事中毒)となってしまい精神疾患を患ってしまう事や家庭を顧みなくなってしまう事で最終的に人口減少へとつながってしまう事を危惧する所から生み出されたという点です。
少子化が止まらない日本も例外なくこの問題に直面しており、声高に叫ぶ団体や企業は増えている一方で世界的に見ても全く改善傾向にありません。

これに関連するのが「働き方改革」で、労働環境の改善もしくは多様化社会に対応しようという動きの一環でもありますが、自分は「ワークライフバランス」の「ワーク」の方にばかり論点が偏ってしまって「ライフ」の部分へあまり言及がされていない印象を持っています。

SNS利用が「趣味を発信する事」を難しくする?

最近は「趣味のない人」をチラホラ見かける事があります。
(自分は人から聞く程度ではありますが)
「趣味がない」というのは表現上の言い方であり、実際は「多趣味すぎてこれといって絞れない」「生活の中に溶け込み過ぎてて本人が趣味と自覚していないパターン」だったりするのですが、中には本当に「趣味がない」という人もいます。
でも問題はそこではなく「(やってて夢中になれる、楽しい)趣味があるか」という点です。
もしくは「私は○○が趣味です」と人に言えるかどうか。

自分もかつてそうでしたが、最初は学生などの若い世代を中心に「趣味がない」という人が増え、今それが世代関係なく広がってしまっているのではないかと考えています。
そして広がっている要因の一つに「SNS」または「SNSへの依存性」が考えられるという事と、「自分の主張する媒体が現実世界からネットに変わった」という時代背景が関わっているのではないかと分析しています。

自分の時はSNS自体が大学生くらいから登場し始めたものだったので深くは関わっていませんが、SNSの現状を鑑みると以下のような事が考えられるのではないかと思うのです。

趣味をSNSでつぶやくとマウントを取られる?

今の時代、老若男女そして世代の年齢層に関わらず多くの人々がSNSのアカウントを持っています。
そして人々はSNSに、ネットに「つながって」いる時間が非常に長いです。

自分からの発信がBBS(掲示板)からSNSへと変わりネットの知識関係なくネットを使って発信する事が可能になりました。
今までは学校や大学で仲間内や職場では同期・同僚と同じ話題で盛り上がっていたのが、友人や同僚などともネットでやり取りするのが当たり前になりました。

そこで自分のささやかな趣味を何の他意もないままネットに発信したとしましょう。
そのつぶやき、または投稿は「自分が趣味としている事」についてポジティブに表現されています。

しかし、そのつぶやき(もしくは投稿)は不特定多数の人間から見られる事になるわけで見られると同時にそのつぶやきを構成している単語の要素に応じて「興味のある事」として同じような要素で構成された他人の投稿を見る事もできるようになります。

するとどうでしょう。
自分が投稿したささやかな趣味に対する熱意が消し飛ばされてしまう位、同じ趣味に対しての投稿が自分の意志に関わらず目に入ってきてしまうのです。
皆さんは、そんな経験はありませんか?

例えば、「音楽を聴くのが好きで、オーディオに興味がある」として初めてのアルバイトで稼いだお金で「1万円のイヤホン」を買ったとしましょう。
嬉しさのあまり「初めてのアルバイト代で欲しかったイヤホンを買えた!一万円もしたけど、これで音楽がもっと楽しく聴けるぞ!」とSNSに投稿します。

するとSNSの投稿内容から興味がありそうな投稿をコンピュータが自動的に検索し、通知やタグで拾ってきてしまいます。
そしてやっと手にした一万円のイヤホンに目を輝かせる彼に生粋のオーディオマニアや趣味の為にお金に糸目をつけないオトナ達の投稿が一斉に襲いかかるのです。

「○○社製の○○万円のスピーカーと○○万円の○○社のアンプのセットアップが終わったので試聴。ドラムとギターがお互いにケンカしない事でここまで艶のある音になるとは。これより安価なオーディオ機器で満足する事は音楽を聴いている事にはならないだろう」

「今までイヤホン如きにウン十万なんて、と思っていたが○○を試聴して即買い。数万円のイヤホンで満足していた自分を殴りたい。」

こんなことは同じ学生が集まる学校ではよほどの事がない限り起こりえません。
不特定多数、そして世代の限定がないSNSだからこそ起こりえる事象です。

それを目にした学生の彼はどうなるのでしょう。
「今までお小遣いを貯めても買うのをためらうけど、初めてのアルバイトでやっと買えるようになったのに…」

「まるでせっかく買った一万円のイヤホンがおもちゃみたいだ…まるで下手の横好きと言わんばかりじゃないか…」

と感じてしまうかもしれません。

呟いたオトナ達には悪意はないにもかかわらず受け止め方によっては学生は「間接的に趣味を否定される」所謂マウントを取られてしまう事になります。

暴論に聞こえるかもしれませんが、こういった「意図しないマウント合戦」がSNSで日常的に起こっており、この例では学生とオトナですが年齢層や性別、趣味嗜好の内容に関わらずその対象となってしまうのではないでしょうか。
そして「趣味を間接的に否定された」(意図せずマウントを取られた)側は直接ではないにしろ「趣味を否定される事」で自分から「○○が趣味です」と言い出しづらくなってしまうのではないか。

そう考えるとなかなか恐ろしい事ではないでしょうか。

気にしなければいい、でもそれが難しい。

先ほどの事はあくまで「例え話」であり、極端な例かもしれません。

しかし、今まで自分が発信した言葉や話というものが学校や職場といった「ある程度限定されたソーシャル」にしか出回らなかった時代とは違い、現代は「国・人種・言語・性別・年齢」などありとあらゆる壁を乗り越えた「限りなく不特定多数」に少なからず影響を与えるものに変わっています。

「SNSをやる」という事は上記のような事を「与える側」にもなり同時に「与えられる側」にもなるという事を理解しておく必要があります。
大手をはじめとしたSNSサービスの利用規約にもその部分の表現が盛り込まれるようになった経緯からも「SNSから受ける影響の大きさ」をあらかじめ理解する事の大切さをわかっておくべきでしょう。

ですが、これが大人ならまだしも学生やティーンエイジャーをはじめとした若年層だと「これをどう教育として盛り込む必要があるか」を議論しなくてはいけません。
今の教育の時代の流れを見ていると「教育できないのなら使わせなければいいじゃない」とばかりの暴論でSNSの利用を禁止している学校などもあります。

しかし現況として殆どの年齢層の人間がSNSへ流入している現実をそろそろ受け止めなくてはなりません。
SNSを「使わせない」ではなく、「どう使わせるか」という事を論じないといけないと思いますし、積極的にするべきです。

その中で重要なのがSNSを「どう使わせるか」という点においてインフルエンサー的な意味合いを持つ「バズらせる」ではなく「現実の自分を投影しすぎない事」です。
「結局どの方向から撃たれるかわからないフリーファイアーゾーン」なのが今のSNSなので「SNSで言われた事」を「自分に対して直接言われた事」として捉えない「メンタルの丈夫さ」が必要不可欠です。

某雪の女王の有名なセリフはSNSでは通用しません。

メンタル形成が必須となるSNSの世界

話を「趣味」の話題に戻しますが、某雪の女王の有名なセリフの中にある「ありのまま」をSNSで発信するには「メンタル」が必要です。

おおよそ理解されないと簡単に予想できる「趣味」を除き「発信」していて文句を言われても怖気づかない、たとえ間接的であっても「マウントを取られても気にしない」というメンタルの強靭さが必須となるでしょう。
勿論「メンタルの強靭さ」と「厚顔無恥」は区別されてしかるべきですが。

無意識に他人を蔑む事になったり傷つけているかもしれない世界がSNSの世界なので最近の人々の中には「SNSに対するメンタル形成が十分でない為に趣味を発信しようとして途中で挫折している」人が意外と多いと思うのです。

そのときの苦い思いから「○○する事が好き」という何気ない趣味を「否定される事」を恐れるあまり「趣味がない」状態にさせられてしまっているのではないかというなかなか乱暴な解釈です。

それが現代における「ライフ」の根幹となっており、最終的に「ワークライフバランス」に繋がっていると自分は考えます。

「ワークライフバランス」実現の為の課題

要は最近の人達に起きている「趣味がありません」現象は言い換えると「(趣味が全くないという事ではなく、自分は楽しいと思っているけど他人からも認められるほどの)趣味がありません」という事なのではないかと。

そしてその原因として自分はどんな人であっても「自らが持つ承認欲求」を満たす為にSNSの世界に足を踏み入れるのですが、SNSで(間接的に他人から否定されてしまって、もしくはそれを恐れて)「趣味がある」と言い出せなくなっているパターンが少なからずあるのではないかと考えているのです。

ではそれが「ワークライフバランス」とどう関連するのかというと、「ワークライフバランス」でいう「ライフ」の部分の多くはその「趣味に対する充実度」が占めているのではないかと考えているのです。

その「趣味に対する充実度」というのが実際に取り組んでいるかどうかというよりも時代が進むにつれ「趣味を楽しむ様子をSNSや様々な媒体を使って発信できているか」という評価基準に変わっており、評価基準でもある「SNSでの発信」が逆にその人が持つ「趣味に対する充実度」の向上を阻害する要因となってしまっているのではないか、という事が言いたかったのです。

元をたどれば「ワークライフバランス」とは「ワーク」に傾倒するあまり労働環境が悪化したり労働生産性を高める事ができなくなることを危惧して考えられた言葉であり「ライフ」の多くを占める「趣味の問題」が解決しなければバランスは崩れたままです。

これでは労働生産性を改善する事は難しくなってしまうので自分の意見としては「ワークライフバランス」という言葉の元では「ワーク」の部分のみを色々と議論するだけでは物足りず、むしろ先に「ライフ」の部分である「趣味」の部分を、そして現代の「ライフ」の評価基準における重要なファクターである「SNS利用」について議論を深める必要があるのかもしれません。

参考

古い文献ですが、「ワークライフバランス」が「会社経営」という観点からどういう見方、理解がされているかを知る事ができます。
この問題は現在進行形なのでこの文献だけを参考にせず「働き方改革」関係のものも読んでみようと思います。

【まずはワークライフバランスの概要を知ろう】

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