-BACK DOOR's Diary- -May 2018-

      2019/11/07

-この世界は覚悟を決めて勇み足で歩くべし-

皆さん、こんにちは。

この月末雑記帳は2回目、なんとか三日坊主にはならずに済んだ模様です。

この月末雑記帳に関してはできるだけ「他愛もない内容」を書き連ねたいと考えています。
自分のプライベートに関連する事も書いてもいいんですが、SNSみたいな愚痴とか不満書いても仕方ないし、自分自身浮いた話があるわけでもないので、ネタ切れになる恐れありですが、細々と続けていきたいと思います。

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自分の性格について

特に他人に言われるでもなく自分でそう思うだけなんですが、自分の人生の岐路ともいえる機会で「もしかしたらかなりの楽観主義的な性格なのではないか」と思う事が多くあるのです。

もともと、性格としては図太い方学生時代も短期大学卒業から4年制大学に3年次編入した時も完全外様扱いされた事で鍛えられたっていうのもありますし、新卒で就職した職場では小売業でしたが連続で2人の店長が失踪してなかなかヤバい状態で店舗運営をしていた経験もして「余程の事では慌てたりしなくなった」というのが正しいかもしれませんが。

でも自分では思っていても「あなた、楽観主義ですね」とは言われた経験もないので不思議です。
もしかしたら「楽観主義には見えない」から言われてないだけかもしれません。
別にボーっとしているわけではありませんし、頭の中ではいろんな事を考えている事が非常に多いです。

ただ、「慌てふためくよりどっしりと構えているタイプ」には違いないです。
また、様々な状況変化に直面しても「なんとかなるさ~」で何もしないというワケではなく「何事も落ち着いて処理する」という意味「慌てても仕方がない、対策を練って講じ、構えておけ」という行動はとるけど、顔に出たりしないので「傍から見れば楽観主義的に見える事がある」程度なのかも。

結局、自分の中には「未来の事は誰にも分からないのだから、混乱して慌てふためくよりも冷静に打てる手を打ち、結果に備えよ」という考え方が根底にあります。
果たしてそれを「顔に出ないので楽観主義的に見える」という一言で括って良いのかどうかはさておき、少なくともこの性格は幼い頃から変わっていないので、一生変わらないんだろうな、といつも思っています。

「俺的ディストピア」を想像せよ

皆さんは「ディストピア」を想像した事ってありますか?

「ディストピア」とは和製漢語で「理想郷」を意味する「ユートピア」と正反対の意味基本的にSF等の空想社会を表現する言葉です。
そもそも「ユートピア」はイギリスの思想家トマス・モアが1516年にラテン語で出版した著作「ユートピア」に由来し、言葉の内容には理想的な政治や社会が背景に色濃く反映されるのが特徴です。
そして「ディストピア」はそんな「ユートピア」に対して否定的で「反ユートピア」とも言うべき内容となっています。
また、「ディストピア」には「ユートピア」に対して政治的・社会的な側面を持つ様々な課題が背景になっている事が多いのが特徴です。

そんな「ディストピア」について、自分はいつも頭の中に限りますが、「俺的ディストピア」の妄想をしているのです。
これはあくまで自分個人の意見ですが、これからの世の中を生き抜く上で「ディストピアの事を考える事」は意外と重要なんじゃないか、と考えるんです。

一口に「ディストピア」と言っても別にSFの妄想をするワケではありません。
「俺的ディストピア」はあくまで「将来起こり得そうなディストピア的出来事」を指します。

例に挙げるならば、直近で自分が考えている「俺的ディストピア」はこんな感じのものです。

  • 将来、年金の支給開始年齢が80歳になる未来
  • 将来、定年の概念がなくなり、退職金制度が消える未来
  • 将来、全年齢医療負担割合10割になって病院に気軽に行けなくなる未来
  • 将来、超・少子高齢化社会で若年層が一人で何人もの老人の年金を負担する未来

まぁ、これらの現実は遅かれ早かれ20~40年くらいで来るのでしょうけど、「俺的ディストピア」はただ単にこういうのを予想して「嫌だなぁ、未来は暗いなぁ」と嘆息するためのモノじゃありません。

自分の年齢でいうとこういう未来が予想される20年~40年後には「いい歳したオッサン」「ヨボヨボのジジイ」な自分がいるワケですよ。
そんないい歳したオッサンが「こんな時代になるとは思わなかった」って路頭に迷ってたら凄いカッコ悪いでしょう。
今や只の一般市民ですら国が調べてるデータや統計をよく見ていくだけでこんな未来が「簡単に予測できてしまう」のだから、そんな事が分かってたら「今が楽しければオールオッケー」な考え方のまま過ごすなんて到底できないんですよね。

Twitterで馬鹿ツイートしてる場合じゃないかもしれないし、facebook・instagramでいいね合戦してる場合じゃないかもしれません。
でもだからと言ってがむしゃらに貯金して節制しても世の中をよくならないし、経済は自然に成長なんてしません。
そして自分一人が意識高く行動起こしても、時代なんかすぐに変わりません。

でも誰でもできる事として「覚悟しておく」というのはできると思うんです。
自分は65歳で定年迎えて年金で悠々自適だなんて最初から思っていないし、じゃあなんとか80歳まで働けるようになるしかないから80歳まで働ける仕事ができる環境を作るために医者にあまりお世話にならないように健康に気を使おうとか、嫌々する仕事じゃ長くは続けられないから長く続けても嫌にならない仕事を探そうとか「覚悟一つ」でいろいろできるじゃないですか。

だからこれからの時代、強く生きる為に「絶望するためのディストピア論」より「覚悟決めるためのディストピア論」を考える方が役に立つんじゃないか、と自分は強く思うわけです。

KEY2発売までにあの「手」を買おうか検討中

もうすぐ待望のBlackberry KEY2の発表会が間近に迫り、モチベーションの高まりを感じている今日この頃ですが、ここにきてある課題を見出しつつあります。

それはレビュー記事等を挙げる際、「端末のとりあえず持った感じを表現しづらい事」です。
何が言いたいかというと「自分で持つと写真が撮れないので持った感じの写真が撮りたい」という事です。
そこで、デッサン用のマネキンハンドを購入するかどうか検討中です。

【稼働15箇所でディスプレイに最適】

これを買おうか検討しています。
女性サイズと子供サイズもありましたが、男性モデルで統一が一番しっくりくるかな、と思っています。
まぁ、スマートフォンやイヤホンの大きさの目安になればいいかな、という程度に考えていますが、特にBlackberryの物理キーボード部分の持ち方みたいなのは「実際に持たせたイメージ」を写真で訴えた方が説得力ありそうなんですよね。

基本情報で端末の外寸には確かに触れますが、大きさだけ書かれてもイメージしづらいというのが現状だと思います。
こういった「レビューしている執筆者側」と「読者として情報を受け取る側」の齟齬を解消するという点ではこういうのが最適だと思います。

まぁ、もちろん実際に手に持っている写真を撮れれば一番ベストなんでしょうけれど、自分のように細々とブログ書いている身にはモデルをわざわざ雇うようなお金は投入できるはずもないので、致し方ないところ。

2018年5月度 月末雑記帳のまとめ

今回の雑記帳は自分の性格や考えていることを中心に書きました。
この調子で雑記帳カテゴリであるこの「月末雑記帳」シリーズはできるだけ自分の事を知ってもらう内容を増やした方が親しみあるブログになりそうですね。
今後も毎月月末週に「月末雑記」を更新していく事にしようと思います。

さて、Blackberry KEYoneの正式後継機種としてBlackberry KEY2が6月7日にニューヨークでお披露目されます。
個人的にはすごい楽しみなんですが、SoCやメモリを強化したおかげでBlackberry KEYoneには備わっていた「驚異のバッテリー効率」という巨大なメリットを手放していないかが課題となりそうです。

せっかくハイエンド端末がモバイルバッテリー使用前提のバッテリー効率であったり、軽量化に躍起になっていたりするので「驚異のバッテリー効率」というアイデンティティは今回のBlackberryにとっては大きなチャンスに違いないのですから。

発表イベントまで10日を切りました、日本国内版の同時提供など希望は尽きませんが、楽しみですね。

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