-我が家の「神様と付き合う」為のならわし-

      2018/08/19

-ならわしを通じて神様と長く大切に付き合おう-

皆さん、こんにちは。

前回はお盆スペシャルという事で、自分自身の実家に関する宗教観というか、自分の家に伝わる「神様との付き合い方はこうだ」というコラムを書きました。

詳しくは以下の記事のリンクを参照いただければと思います。

-神様と付き合っていくという事-

さて、今回は前回に引き続きお盆スペシャルとしてまたスピリチュアルな話題といきましょう。

前回の記事の中でも言及したのですが、自分の実家には「神様と付き合っていく」為に代々受け継がれている「ならわし」があります。
細かいものも含めるとかなりの数になるのですが、自分が教えてもらっているものはその中でも限られており、多くが時代の流れに応じてやらなくなってしまったりしています。

しかし、「ならわし(しきたり)」を守る事が「神様を信仰する」という事ではないと自分は思ってるので、「ならわし(しきたり)」が時代に応じてその姿かたちを変えたり、続けていくべきもの、このままでは難しいものと分別して受け継がれていく事に関しては否定しません。

むしろ、その敷居の高さに信仰することを途中で投げ出してしまったり、神様の世話や先祖達との関係を絶ってしまう事の方が問題だと思っています。

今回はこの機会に、自分の実家で守られている「ならわし(しきたり)」の中でも特にメインと言えるものをご紹介しようと思います。

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毎月1日と15日は稲荷寿司を供える

これは季節・時期に関わらず、毎月行っているならわしです。

稲荷神というとキツネを思い浮かべる人が多いと思いますが、本来キツネは肉食ですので稲荷寿司(というか油揚げ)は食べません。
これは五穀の神様で伏見稲荷大社の主祭神でもある宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)が稲荷神として信仰されている事に由来します。
(ただし、宇迦之御魂神が稲荷神として登場するのは室町時代以降で、伊勢神宮ではそれより早く御倉神(みくらのかみ)として祀られていました)

この事から五穀のうち「米」と「豆」からできている「稲荷寿司」商売と農業(産業)の神様である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)に商売繁盛・豊作祈願を込めて供えたのが始まりとされています。

キツネは神の使いであるという言い伝えや米や作物の天敵であるネズミを捕らえる動物であるから…という理由で稲荷神の使いとなったそうです。

このならわしによって毎月1日と15日は「神様が口をつけたご利益のある稲荷寿司」を一日の初めに朝食として頂きます。
ありがたやありがたや。

収穫された農作物の「初物」はまず神様へ

自分の実家ではいままで祖父が営んでいた農業を父親が定年退職後、引き継いで行っています。

例えば、6月~7月にかけての夏なら「キュウリ・ナス」「トマト・トウモロコシ」「枝豆・オクラ」といった作物が旬の初物として収穫されますが、季節の収穫物の「初物」(はつもの)はまず農業(産業)と商売の神様であるお稲荷様、自分の家の屋敷神に初物を供えるならわしがあります。

その年の季節にとれた農作物の「初物」は日本では縁起物とされていますが、自分の実家ではその「初物」を屋敷神に供えて初めて「縁起物」として扱います。

「初物」が縁起物とされている背景には「初物」が「健康・長寿をもたらすもの」として食べられていた為ですが、自分の家では農業(産業)と商売の神様である「稲荷神」が供えられた「初物」を食べる事でご利益を吹き込み、供えられた「初物」には「健康・長寿といったご利益がつく」と考えられていたようです。

また、初物と言えば初物四天王として「初鰹・初鮭・初茄子・初茸」がありますが、基本的に供えたのは自分の畑で収穫された「初物」と他人から頂いた御中元・御歳暮・祝い事の返礼品が対象になります。
なので、殆どの貰い物も日持ちしないものを除けば、貰ってから1日ほど神様にお供えしてから食べる事が殆どでした。

集落の中に不幸があった時は半紙で御神体を隠す

これは調べると出てくるものでもありますが、家族に不幸があった場合、仏壇を正面から見て本尊が見えないように半紙で隠しておく風習はいろんな地域で見られます。

しかし、自分の地域では集落の中で不幸があった際も仏壇を半紙で隠すならわしがあります。
ただ、「集落の中で不幸があった場合」なので範囲は家族以外にも広がり、その場合は仏壇だけでなく、屋敷神である「稲荷神」の御神体も見えないように半紙で隠さなくてはなりません。
この「半紙で隠す」という行為には不幸があった場合は仏壇や屋敷神の社殿を神聖な場所として保つ為、半紙でご神体(位牌等)を隠し、人目に触れないようにしたという事に由来します。

また、自分の家では集落に不幸があった場合、家の家長(自分の家でいうと父親)が通夜・葬式・告別式に参加するのですが、一連の日程が終了するまでは神様を拝まない(半紙で御神体を隠したままにする)決まりもあります。
(交流がない場合や喪主より特別要請がない限りは通夜のみの参列に留める場合が殆ど)

もともと神様は人の死を嫌うもので、死の雰囲気を纏った状態で祈願やご利益を願う事は避けるべきという考え方から生まれたならわしですが、人に死について冥福を祈る為に「拝む」事と、将来の無事や大事の回避等を祈願する為に「拝む」事を区別するためという見方もあるそうです。

ただ、屋敷神を祀った祖父が亡くなった時は屋敷神の御神体を半紙で隠さず、盛り塩で体を清めてから拝みました。
父親によると屋敷神と縁の深い人が亡くなった時は、屋敷神には「人が死んだ事はわからない」らしく、それを教える為に普通に拝むのだそうです。

逆も勿論然りで、家族が増えた時(結婚・出産)の際も、屋敷神は知らないのできちんと伴侶や子供を連れて拝まなければいけません。

ならわしから見えてくる地域性と課題

今回、自分の家で実際に行っている「ならわし」をわかりやすいものを選んで3つ紹介いたしました。

紹介した「ならわし」はいずれも自分の家や集落だけのオリジナル…というわけではなく、もともと日本に広く伝わっていた「文化」や「決まり事」が転じたり、拡大解釈されたりしたものです。
この記事を書いている時期はお盆や夏休み期間ではありますが、その時期特有のものもあれば、通年で習慣として行っている「ならわし」もあります。

自分の実家がある地域も時代が変わるにつれ、親戚や同じ集落の人間で高齢者が世を去り、受け継がれていたものが次の世代に受け継がれず、やっていた「ならわし」が消えていってしまった家もあります。
少なくともいままで行っていた「ならわし(しきたり)」の類は神や先祖にまつわるものなので、途中で勝手にやめてしまうのは本来はあまり良くない事です。

神様を信仰しない事にするのも、勝手に決められる事ではなく、その神様が属している神社やお寺などに相談して整理供養しない事には始まりません。

ただ、最近自分の地域でも問題なっていますが、所謂移住者の方々への「ならわし」の押しつけは褒められたものではありません。
移住者の方々は地域の歴史や文化、はたまた「ならわし」に魅力を感じて来てくれているわけではないからです。

自分の父親は地元の自治会組織に所属していますが、地元の高齢者と移住者の関係の悪化が毎年課題として取り上げらています。
自分の家の屋敷神は地元地域の神社やお寺と繋がり、先祖のお墓ともつながっているので地域の雰囲気が悪くなってしまうのは本望ではないでしょう。

その為にも自分の地域も含めて地域に代々伝わる「ならわし」は受け継いだ家でしっかりと行い、かつ移住者の方々にも知ってもらえたり、理解してもらえるような努力を必要とされているのかもしれません。

参考

地域の「ならわし」問題と高齢化社会は俯瞰すれば「小規模自治体の可能性」の問題に触れる事になります。
貴方の実家のある地域ももしかしたら同じ局面に立たされる時が来るかもしれません。

【日本のしきたりを知ろう・知らないしきたりがあるかも?】

【人口減少社会を今一度全体の視点から俯瞰してみましょう】

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