-神様と付き合っていくという事-

   

-信仰とは日々の行いを徳に変え、神様に捧げる事-

みなさま、こんにちは。
お盆休みいかがお過ごしでしょうか。

帰省ラッシュを潜り抜け、実家で一息ついている方も帰省せず自宅でゆっくりされている方もいらっしゃると思います。

さて、今回はお盆休みという事もありますので、お盆休みスペシャルと称しましてちょっとスピリチュアル的な記事を書こうと思います。
スピリチュアルな話題と言っても、別に守護霊が見えるわけでも何の関係もない人様の未来を占うワケではありません。

今回書くのは自分の実家に祀られている神様の事についてです。

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実家には屋敷稲荷が祀られている

実は自分の実家(今は住んでる)には「屋敷稲荷」(屋敷神)を祀っており、他にも神棚などの屋内神と仏壇があります。
そして自分の一族のお墓があるお寺にはそのお寺の歴代上人(高僧など智徳を備えた人物に対しての敬称)のお墓を祖父が作り直し、それを代々守っています。

そして、自分が知る限り祖父の代から「神様と付き合っていく為に必要なならわし」がいくつかあり、両親はそれを守りながら暮らしています。
自分も物心ついた時から家に神様がいるのは認識していましたし、社会人になってからも一人暮らししていた期間を除き、その「ならわし」に従っていました。
その「ならわし」についてはお盆休み中に別記事にて詳しく書きたいと思います。

ちなみに自分の家は日蓮宗に属しており、お墓のあるお寺も日蓮宗のお寺です。
しかし、宗教家というワケではなく、今実家がある地域に祖父の先祖が親戚からの養子縁組等を経て分家し、先祖の代から日蓮宗と深い関わりがあり、自分の家に屋敷稲荷を祀る時にも日蓮宗を信仰するようになった…というのが正しいかもしれません。
自分の実家の集落には屋敷稲荷を祀っている所はいくつかあり、自分の実家も「本家屋敷神」という形にあたると思います。
家系図などを見ると自分は5代目という事になっています。

そして屋敷稲荷と言っても稲荷神ですから農業や漁業、商業の神様です。
歴史は祖父の父の代にさかのぼり、祖父は生前農業を営んでいましたが、祖父が幼い頃は塩田や海苔の養殖の他、漁業も行っていたらしく産業の神様である稲荷神への信仰はあったそうです。

のちに祖父は戦争へ徴兵され、終戦後捕虜としてシベリア抑留を経験し、日本に帰ってきてから寺に修行に入って家に屋敷神を祀ったのが自分の実家と神様の関係のはじまりです。

神様との縁を大切にした祖父が信じた「因果応報」

特にウン百年という長い歴史があるわけでない我が実家と神様の関係ですが、祖父は寺に入ったという事もあり、集落の誰よりも信心深い人であり、また「因果応報」を信じてきた人でした。

「因果応報」とは調べればわかりますが、簡単に言うと「善い行いをすれば良い結果が、悪い行いをすれば悪い結果につながる」という意味の仏教用語です。
この言葉には同時に善行に見返りを求めず、見返りありきで行動してはいけない、という戒めも込められています。

そして祖父は神様との縁(えにし)も因果応報と結びついていると生前言っていました。
具体的に箇条書きすると以下のような内容の事を常に話していました。

  • 神様は人々からの信仰の多さで位が決まるので信仰がないとやっていけない
  • 屋敷神のように家に祀られる神様は、その家の人が代々正しく信仰する事で位が上がる
  • 屋敷神はその家の人の行動を常に見ている
  • 人は善行をすると人として徳を積むことになり、その徳は神様のパワーになる
  • 屋敷神は家の人が徳を積むとその徳をパワーに変えてご利益を授ける
  • 神様を信仰するという事は神様とそのパワーの循環を行う事である

いくら祖父とはいえ、個人の宗教観は人それぞれだと思います。
それに自分は幼い頃から祖父にこういう話を聞いて育ったので、「子供への教育的な意味を持つ戒め」の意味もあるかもしれません。
なので必ずしも上記の考えが真実かどうかはわかりませんが、自分としてはかなり理解できる考え方です。

もともと、祖父は家に屋敷神を祀る際、「七代供養」を最上のご利益の条件として屋敷神を信仰する事を約束したと言っていました。
「七代供養」とは「信仰が続く限り、家が途絶えないように守ってもらう事」であり「七代」は「永久」を意味します。

となると裏を返せば、自分や自分の子供が屋敷神の信仰をやめてしまうと神様に家を守ってもらえなくなるという事でもあります。
また「七代供養」という言葉には「先祖代々、信仰を受け継ぐ」という意味も含まれており(父親曰く)、信仰とともに先祖を大切にしなさい(お墓をちゃんと守りなさい)という事でもあるそうです。

簡潔にまとめると屋敷神と縁を保ち、最上のご利益である「七代供養」をもって家と人を守ってもらうには先祖を大切にして正しく神様とお付き合いをしなさい、という事です。

まとめれば簡単に見えますが、それだけ祖父は「神様を信仰する事の厳しさ」を理解していたのでしょう。

信仰とは「神様とパワーのやり取りをする事」

自分自身、これまでの人生30余年生きてきて、前述した祖父の教えと因果応報の言葉に何度も打ちのめされてきた記憶があります。

その頃は屋敷神の事は祖父から言われていた事は覚えていましたが、因果応報の結果そうなっているとは夢にも思っていませんでした。
今振り返ってみると、愚かだったなぁという言葉しか出てきようがないのですが、今はその言葉を噛み締めて生きています。

ただ、今まで家にいる時も一人暮らしから帰ってきた時もふと考える機会はあったのですが、祖父の言葉を借りるならば「信仰する」というのは難しい事だと思います。
自分の家がある地域(集落)でも昔はキチンと神様を信仰していた家も気が付けば後継ぎがいなくなってしまい信仰をやめてしまった家もあるようです。

確かに時代は進み、現在は時代錯誤なならわし(しきたり)も出てきているのは事実です。
「信仰する」という事は見出しの言葉に照らし合わせれば、ならわし(しきたり)を何が何でも守るという事ではなく、「神様と長く付き合っていく」という事なんだと考えます。

その長い付き合いの中で悪い事に手を出さずにしっかりと生き、人間として徳を積む事で「神様とパワーのやり取り」を通して豊かに人生を生きていく。
これが「神様を信仰する」という事においての重要なポイントだと考えています。

昔は厳しいならわし(しきたり)を守る事が「信仰する」という意味だったかもしれません。
しかし時代とともに人間の生き方は変わります。
それとともに「神様との付き合い方も変わる」のだと思いますが、先祖を大切にして簡素でもいいから昔からのならわしを何でもかんでも否定するのではなくて適切なものに変えて残していく、そしてできるだけ長く「信仰していく」事が最も大切なのだと思います。

皆さんも実家などにお墓のある人はこのお盆をいい機会に振り返ってみてはいかがでしょうか。

参考

自分達が今でも「神様とのお付き合い」として行っているならわしも原点があります。
それは日本の旧暦であったり、中国の二十四節気であったり起源は様々です。

信仰がもとになっているもの、祭りや地元の決まり事が元になっているもの等、大小様々あります。
一つ一つ調べるよりも下記の書籍のような歳時記を調べているものを見ると分かりやすく理解しやすいと思います。
皆さんの地元や生まれ故郷などでも受け継がれているものがあると思います。
探してみて、できる事から初めて見ると人生が豊かになるヒントになるかもしれませんよ。

【まずは旧暦など日本の歴史からたどってみよう】

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